軍艦島の概要・詳細記事です。
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〈長崎〉荒波を越え、軍艦島に行ってきました。
軍艦島とは?
正式名称は「端島」。長崎港から南西に約17.5kmの海上に浮かぶ人工島。明治〜昭和にかけて海底炭鉱の基地として栄えたが、エネルギー革命により1974年閉山。無人になったが、その後世界遺産に登録されました。
名前の由来
埋め立てによって堤防が島全体を囲い、高層住宅が立ち並ぶその姿が軍艦「土佐」に似ていることから、後に「軍艦島」と呼ばれるようになったそうです。
端島(軍艦島)
島の埋め立て
大きさは南北480m・東西160m。当初は南北320m・東西120mの岩礁であったものが、6回にわたる埋め立てによって現在の大きさになりました。
世界遺産に登録されているのは島全体じゃない
2015年、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産の1つとして世界文化遺産に登録されました。その為、登録されているのは明治期に造られた護岸と炭鉱部分のみ。それ以降に造られた住居部分等は入っていないそうです。
天川積みの護岸。天川と呼ばれる接着剤を用いて石を積んでいる。
近代化を支えた炭鉱
1810年に石炭が初めて発見されました。その後土佐藩によって小規模な採掘がなされ、1890年に三菱によって本格的な採掘が始まります。端島炭鉱で採れた石炭は八幡製鐵所に送られ、製鉄用原料炭として使われていました。
エレベーターはスカイツリーのものと同じ速さ!?
左の赤レンガの建物が総合事務所。右が主力であった第二竪坑に続く桟橋への階段(その先は崩壊している)。
端島炭鉱は海底炭鉱。第二竪坑の入り口は地下600m、地上からそこまではエレベーターを使っていたそうなのですが…壁なしで、しかも電力ではなく重力式。高さでいえば同じくらいのスカイツリーは秒速7〜8m程、それを同じ速度で「自由落下」していたとかΣ(゚Д゚)ドカーン
軍艦島(端島)のエレベーター【軍艦島デジタルミュージアム】
過酷な労働
炭鉱では気温30℃、湿度95%の中で8時間の肉体労働(24時間稼働の3交代制)。石炭の粉で体は真っ黒。総合事務所の中に共同浴場があり、そこで汚れを落としていたそうです。
ガス爆発などの危険性もあり、炭鉱内で200余名の方が命を落とされたとのことで、ガイドさんから「そのことに想いを馳せながら、島内見学・写真撮影をなさってください」。
近代日本の最先端
世界一の人口密度
日本初の鉄筋コンクリート造高層アパートが、鉱員用として建設されたこの30号アパート(写真下)。その後も続々と高層アパートが建設されていきます。最盛期には人口が5200人超、人口密度が東京23区の9倍で、世界一を誇りました。
テレビの普及率100%
それほど大きくはない島ですが、日常生活に必要な施設はほとんど揃っていたそうです。学校や病院はもちろんのこと、デパート、映画館、テニスコートやプール、パチンコホールやクラブまで。24時間稼働で灯りが絶えることがなく、不夜城と呼ばれていました。電気は近隣の高島から海底ケーブルを通して送電され、水は給水栓で運ばれ貯水槽に蓄えられて配給されていたそうです。
小中学校(写真の左側の白い建物)。7階建て、1〜4階が小学校、5・7階が中学校、6階が講堂や図書館・音楽室など。他の高層建築に阻まれて日当たりが良くないため、少しでも陽が入ってくるように窓が大きく取られています。
端島神社(上に出ている三角形のもの)。毎年4月に島を挙げてのお祭りが行われていたようです。当時は拝殿もありましたが倒壊し、今は祠のみが残されています。
鉱員は過酷な労働をしていましたがその分給与は高く、当時大学の初任給が3〜4万程だったのに対し、鉱員は20万程だったとか。いわゆる「三種の神器」の普及も速く、当時テレビの普及率が日本全体で8%であったのに対し、端島は100%。鉱員の家族はかなり裕福な暮らしぶりだったそうです。
島で揃わないものは3つだけ
そんな端島でも、ないものが3つだけありました。緑、火葬場、墓地です。火葬場と墓地は近くの高島のものを利用していました。緑に関しては、高島にピクニックに行ったり端島の岩場をペンキで塗ったりしたほか、アパートの屋上に土を運び、花や野菜を育てていました。これは子どもたちに、野菜の作り方を知っておいてほしいという親の願いだったようです。これが日本初の屋上菜園だと言われています。
消え行く軍艦島
現在は緑が散見されますが、これは閉山後、無人になってから鳥たちが土や種を運び込んで生まれたものだそうです。
「皮肉なものですね」緑を求めていた人たちが、島を出ていってから、自ずと芽を出したものたち。その上を、鳶がぴゅるるるると声を上げながら飛んでいく。
現在残っている建物たちも、現在の技術では保全ができず、数年後には見られなくなるといいます。
「ここをふるさとだと思っている人がいます。でも彼らはもう、ここに帰ってくることはできない。ふるさとに帰ることができない人がいることを、覚えていてほしいと思います」
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frari
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